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想いを込めたお墓デザインコンテスト

第26回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。



積み重ねてきた家族のメモリーを2冊の石の本の中に刻み込んで、表紙には英語で「我が人生に悔いは無し」の充実人生

静岡県 益田様

お墓建立の際のエピソード

齢70を間近にし、私たちの終の住処をどう表現するか真剣に考えました。
大自然に溶け入って子供たちと一緒に釣りやスキーに多くの刻を費やして来た事、
喧騒の人里から飛び出しキャンプや山のいで湯に一時の癒しを求めて子どもたちと一緒に旅に出た事、
ポンタッシェーベ(イタリア北部片田舎の都市)へのスローフードの旅で黄金色に輝くぶどう畑の丘や、オリーブを収穫する老夫婦ののんびりした労働に見入った事、
”ヴィラ レ・モナーチェ”に泊り込んでカルミネさんからイタリア料理の手解きを受けた事・・・・
子どもたちと共に過ごしたこれら数多くの想い出を一冊の本に詰め込んでみたら・・・・というのは女房の発案。いつの日かどちらかが先に逝ったら、残された人がここに来て石の扉(本の表紙)を開いて語りかける。
私たちの美しく楽しかった過去を・・・
「ウン、いいね そうしよう!!」
本の表紙には、"I don't regret anything in my life"(我が人生に悔いは無し)私たちの人生そのものだ
この本を2冊重ねて背表紙に著者として二人の名前を彫って頂きました。
石材店さんに心暖まる対応を頂き、素晴らしく居心地の良い家が出来て心から感謝しています。



旅行で訪れた思い出深いギリシャのパルテノン神殿をモチーフにしたお墓

京都府 泉様

お墓建立の際のエピソード

元気だった父が急に亡くなるとは思ってもいなかったので、生前にお墓をどのようなものにするか、また場所をどこにするかなど、当然話すことなどありませんでした。突然の別れでした。
お墓選びを始めるにあたり、父だったら「どのようなお墓にすれば喜ぶだろうか?」「場所は何処にすれば良いだろうか?」と考え、父は「人と同じでは嫌で、目立ちたがり屋なタイプ」でしたので、典型的なお墓ではなく、敷地面積ができるだけ大きく、完全オリジナルデザインのお墓を作ることを念頭に霊園を探すことに決めました。
いくつかの霊園を見学して回りましたが、どこも典型的なものばかりで、制約があり、希望に合う所がない中、最後に訪れた桃山霊園は、実家からも姉達の住まいからも近い好立地条件で、私が思い描くオリジナルのお墓を建てるに相応しい敷地面積もあり、石材店様も優れた技術のある信頼できるところでもありました。
依頼するにあたり、デザインをどのようなものにするか?と考えた時、父は仕事の関係上、海外研修や旅行に行く機会が多く、家族とも海外旅行に行った思い出が多い。そうだ!昔に話していた研修旅行で訪れた思い出深い場所、ギリシャのパルテノン神殿をモチーフにした形にしよう!それから誰よりも父が愛していた母がとても大好きだった、バラの花を立体的に彫刻で刻むデザインを入れよう、と考えました。
お墓のデザインに合うよう、石碑文字にもこだわりました。正面に刻んだ言葉『Always with you~いつもそばに~』この言葉には、亡き父から私達に対する想い、私達から亡き父への想い、そのお互いの気持ちが込められております。家名や家紋を一切刻んでいないのは、もしかしたらこの先、父がとても可愛がっていた幼い孫娘が「このお墓に入りたい」と思ってくれた時のためです。「苗字の違う家族でも、気兼ねなく入れるお墓にしたい」と、家族思いの父ならきっとそうしたはずだと思ったからです。その孫娘と一緒にハワイに行くことを闘病中に約束していましたが、その約束が叶わないまま亡くなったので、姉夫婦と孫が約束の地ハワイへ行き「せめてこの砂浜の美しい砂を父のお墓に」という想いで持ち帰り、お墓の土台に埋めました。納骨の際「一緒に行きたかったハワイの砂ですよ!」と孫から伝えました。ひとり寂しくないように、先に天国に行った愛犬「ルパン」も家族の一員ですので、その姿を映した墓石も一緒に建てました。みんなから愛された父のため、家族みんなの思いがたくさん詰まったお墓(お家)です。



妻との思い出のゴルフボール型のお墓、上台にはドライバー、パター、ピンフラッグまで彫刻

大阪府 鏡畑様

お墓建立の際のエピソード

亡き妻の生きがいであり、夫婦共通の趣味であったゴルフ。
入院中に、最後にもう一度ゴルフコースを回りたいと言っていた言葉が忘れられません。
ゴルフが大好きだった亡き妻のためにゴルフボール型のお墓を建立しました。直径約55㎝と大きく、黒の御影石のボールに丸い窪みのディンプルをいくつも浮かびあがらせたデザインで、ボールを載せている上台側面にはドライバー、パターとともにピンフラッグが彫られています。

いつか家族みんなでゴルフを…の気持ちを込めて建てたお墓です。





夫婦2人のつもりが、娘3人も我も我ものうれしい三密状態、ピンクの愛らしいハート型お墓

山梨県 久保田様

お墓建立の際のエピソード

今から35年前、ここ小淵沢でペンションを開業しました。3人の娘たちは、小学校に上がるや仕事の手伝いをしてくれて、家族5人でにぎやかに働きました。やがて彼女たちも進学で家を出て、就職、結婚。今や私たち夫婦2人きりで、ささやかだけれどもお客様にくつろいでいただける宿を目指して頑張っています。
開業して間もなく、ここに骨を埋める覚悟の証として、地域の共同墓地の区画も手に入れて、「これでいつ死んでも大丈夫」と安心していましたが、最近になって墓石を建てていなかったことに気付きました。実際に入るのはもう少し(かなり)先になるだろうけれど、娘たちに心配をかけることなく、自分たちの好みに合ったお墓に入りたいということで、今のうちにお墓を建てておく決心をしました。
その昔、3女がまだ保育園児だったころ、突然、「大きくなったらお父さんとお母さんにピンクのハートのお墓を建ててあげるね。」と言い出したのです。いったいこの子は何を言い出すのだと驚きましたが、それ以来、私は「ピンクのハートの墓」の虜になっていたのです。でも、そんなものを石材店さんに頼んでも、反対されるのではないかと思い、地味に、シンプルな石にハートのレリーフを刻んだ下手くそなデザイン画を描いて、おそるおそる石材店さんに行ったのです。話を始めると石材店さんは大乗り気で、話を聞いて下さり、ご主人が「石自体、ハート型にすることもできますよ」と言ってくださったのです。「何だ、最初から正直に自分がほしいものを言えばよかったのだ。」ということで、そこからはとんとん拍子で、話が進んでいきました。
娘たちはみな遠方に住んでいるため、将来、墓地の清掃管理もほとんどできないであろうということから、敷地全体にコンクリートを打ってもらいました。石材店さんの提案で、私たちの手でコンクリートの淵にレンガを積んで、中に砂利を敷き詰めることにしました。まさかこのようなことをするとは思ってもいませんでしたが、出来栄えは上々(笑)で、楽しい思い出となりました。
お墓が完成して、これで2人静かに収まるところができてよかったと思い、娘たちにも写真を送りました。すると真っ先にアメリカにいる3女が、「アメリカ人と結婚した限り、私もアメリカに骨をうずめる覚悟ですが、それでも日本に帰りたいので、死んだら遺灰の半分をそこに入れてください」と言ってきました。そのあとすぐ、長女も次女も「私も、私も」と言い出して、ついには次女の夫まで入れてくれと言ってきて驚きました。夫婦水入らずのはずが、とんだ過密状態の暮らしになりそうですが、にぎやかなのはいいな、と大きな幸せを感じています。
奇抜なリクエストにもかかわらず、ずっと親身になってお墓づくりに携わってくださった石材店さんご夫婦に感謝いたしております。このお墓、本当に気に入っています♡



華のように生きた妻への想いあふれるハート形に「華」の入ったお墓。ディズニーファンの亡妻のためにこだわりの小さな隠れ彫刻も

大阪府 池田様

お墓建立の際のエピソード

沢山の人に愛された妻のために世界一かわいいお墓を作ってあげたいと家族全員で想いを込めました。
妻が選びそうなデザインや言葉にこだわったので、その素晴らしい仕上がりを見た瞬間涙が止まりませんでした。
ハートが大好きな妻、桜が大好きな妻、自分の名前の通り華やかに生き抜いた妻。
3人の子ども達の名前の頭文字で、生前妻が作ったロゴを入れてもらい、妻が大好きで毎日主題歌を歌っていた映画”The Greatest Showman”に倣って、英語で”偉大な母”と入れてもらいました。
そしてディズニーが大好きな妻のためにこだわりの隠れ彫刻!!
細やかなデザインまで実現し、妻にぴったりの素晴らしいお墓を作ってくださって感謝でいっぱいです。



これからは、楽しい夢をみながら、ゆっくり休んでもらえるようにとの願い孫娘が書いた「夢」を刻む

群馬県 田中様

お墓建立の際のエピソード

昨年8月に父が、その後を追うように母が10月に旅立ちました。
寡黙で、背中でものを語る父、その後ろを小走りでついて行く母。
昭和から平成の激動の時代を、夫婦二人で必死に生き抜いた人生でした。
可愛がってくれた  おじいちゃん、おばあちゃんに、「これからは、楽しい夢をみながら、ゆっくり休んでもらえるように・・・」との願いを込めて、孫娘が書き上げた「夢」の字を刻みました。
娘も、「おじいちゃんとおばあちゃんに 恩返しができた。」と大変喜んでいます。
家族でお墓参りに来た時、「夢」のお墓の前で、生前の父母の思い出に浸り、まるで、時間が昭和の時代に戻ったかのように、心穏やかになります。
私ども、家族の想いを、そのまま形にして下さった石材店の皆様、お世話になりました。心より感謝しております。



熊本地震を経験した教訓を生かし、倒れにくい低い墓に。参道は白御影石でコントラストにメリハリ

熊本県 石坂様

お墓建立の際のエピソード

母が平成22年10月、父が平成23年6月に亡くなり、両親のために早くお墓を建ててあげたいとの思いはありましたが、県外への転勤、平成28年4月発生の熊本地震もあり、遅く今になり両親には申し訳なく思っています。墓の形には熊本地震を経験したこともあり墓石が倒れにくい低い墓にし、妻が掃除しやすい墓が希望のため、石材店と相談の上、お墓の形を決めました。



シックなメッセージカード風のラインで縁取りした中に 「ありがとう」が刻まれた亡父のお墓

群馬県 永井様

お墓建立の際のエピソード

2018年春に父が他界しました。一周忌に間に合うようにと、その年の暮れ頃からお墓の建立に向け検討を始めたのですが、初めは、どんなお墓にしたいのか、どの石材店にお願いすれば良いのか、何も決まっていない状態からのスタートでした。大凡の予算と和風よりは洋風が良いということだけを伝え、いくつかの石材店さんにデザインと見積りをお願いしてみたのですが、どの提案もしっくりくるものがありませんでした。結局、検討も思うように進まず、父の一周忌に間に合わせることが出来ませんでした。そんな中、従兄から、とても親切でアフターケアもしっかりしている石材店を紹介されました。私は、単身赴任をしており、地元にある石材店に足を運ぶことがなかなか出来なかったため、電子メールで何度も何度もこちらの要望を汲み取っていただき、最終的にイメージ通りのお墓ができたことに大変感謝しております。
我が家は、父の最期に家族の誰一人として立ち会うことが出来ず、直接感謝の気持ちを伝えることが出来なかったことから、墓石にはその想いを刻みたいと考えました。
感謝の意味を持つ言葉は沢山ありますが、「ありがとう」という言葉の語源が、お釈迦様が説かれた「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え」の中の「有り難い」であることを知り、「ありがとう」にしました。
また、父へのメッセージカードのように見立てるため、ラインで縁どりを行いました。
父はお酒も好きで、良くお花見にも行っていたようです。そんなことから、いつでもお花見をしながら一杯やれるようにと、桜の花を刻んで頂きました。
何れ、私もここに入る時が来ます。お墓参りに来てくれる家族に「ありがとう」と思って貰えるような人でありたいものです。



沖縄大好きの亡妻のお墓はシーサーに守られ、「ハイサーイ(こんにちは)」。ハイビスカスや沖縄の県花デイゴの花模様も刻む

千葉県 柳原様

お墓建立の際のエピソード

妻の忍は沖縄が大好きです。まだまだ生きたかった妻は「ひょっとしたらまた生き還る方法があるかも」そんな風に思っているかもしれない。
今はどんな状況で、本当は何を考えて過ごしているのかわかりませんが、私はまた会いたいです。
いつもの妻はギャグや変顔、芸人さんのモノマネをして、親や姉妹、親戚、友達、おばあちゃん、みんなと一緒に笑ってました。
そんな妻の明るさが少しでも戻るように、少しでも明るいほうに向かうように、そして周りの片皆が喜んでもらえたら、そうなれたらいいなと思い、大好きな沖縄のイメージを踏まえお墓の提案をしました。
また両側にあるシーサーが出来上がった時、「ここによく来たねえ」「また来てね」と言っているように思え、想像以上の仕上がりにとてもありがたく、感謝しています。最後にお墓に来てくれた人が、また来たくなるような、そんな寂しさのない場所になってほしいです。



野球一家のお墓はバッターボックスもある野球グラウンド型。墓石の周囲には外野のような青々とした人工芝を敷き詰める

北海道 坂本様

お墓建立の際のエピソード

お墓は「繋ぐ」もの。だから坂本家のお墓建立のテーマは「繋」です。
坂本家と言えば「ああ、あの野球一家の坂本さんね!」と知られるほどの野球家族です。私は3度のご飯よりも野球好きで、日頃の指導にも努めています。息子2人は共に高校野球で北海道代表チームとして甲子園に出場しました。お墓を建てた2年前には、ちょうど甲子園100回目の記念にあたり、お墓をこの記念の年に建てようと決心しました。デザインコンセプトは坂本家らしく「野球」を表現しようと、お参りスペースを野球のグラウンドを形にしました。
お墓参りで、お墓守りも、家族の絆も「繋ぐ」想いをより一層深めていきたいと考えています。



石塔には5つの部材と2つの石種を使い立体感と造形美を表現

福岡県 草場様

お墓建立の際のエピソード

元々佐賀がふるさとでお墓もあったが、福岡が長くなりお墓の引っ越しを考えました。佐賀のお墓は先祖のお墓で何基もあったのですが、その中で供養塔にご先祖様を移し、お墓自体を新たに作り直すことにしました。
新しいお墓にはまず石にこだわりました。色の濃いものがないか?
色に深いものがないか?そういった中で石材店の提案を受けてエメラルドパールという輝きもある石を選びました。形にもこだわりました。立体彫刻のようなものが好きなのですが、周囲にも迷惑をかけないように石塔部分で私たちらしさを出しました。
また立体感と造形美を出す為に石塔には5つの部材と2つの石種を使い、本磨き・水磨き・割り肌・彫刻面と石の良さを存分に表現させてもらいました。
高さはスケール感がほしかったので、アシンメトリーになりますが少し上に伸ばしました。
文字も草書体を用い、躍動感のある雰囲気を出せました。
石塔の形に特に力を入れて考えて、石材店と夜遅くまで話し合いを続けました。それぞれのイメージやデザインを出し合い、ベースは草場のイニシャル“K"をベースに私たちの気持ちをしっかりと表せたと思います。お墓の周囲はお参りのしやすさを重視して、既存の外柵と階段以外はフラットに拝むところに1段だけ段をつけました。
荷物が置きやすいように青石の自然の雰囲気がある置き石を左に、向かいに拝みやすいように先々のお墓の供養塔と手水鉢を置きました。フラットな空間に左右にそれぞれ石材がありバランスが取れた空間になったのではないかと思います。
雨上がりの日にお参りに行くとエメラルドパールの輝きがより増して感動的でした。今ではいつお墓参りに行こうかと悩むほどお参りが楽しいです。



いつまでも艶が消えない宮城産の銘石「蔵王石の自然石」に「慈愛」を刻む

宮城県 T.K様

お墓建立の際のエピソード

お参りに来てくれた家族が必ず目にする「慈愛」という文字。
「いつも見守っていますからね…」
先に旅たった家族の想いが伝わるよう…
墓石は、世界にたった一つの墓を建てたいという思いから生前に建てる寿陵墓、宮城産の銘石蔵王石に出会い、書家の先生に心のこもった文字を、その筆遣いにもこだわって彫っていただきました。
木々の茂るお寺に自然石。人生の時間とは違った悠久の時の流れに感じることが出来るお墓つくりが出来ました。まだ、元気になうちに終の棲家を建てることができ、これから少し安心して過ごせそうです。



想い出の実家の板塀に囲まれた富士山型のお墓。その前には富士の裾野の小川も表現

静岡県 三枝様

お墓建立の際のエピソード

このお墓を建てること。
それは私にとって、最後で最高の母への親孝行になりました。
正直に言うとお墓を建てることに悩みました。
私には二人の娘がいるのですが、二人とも嫁いでおり、将来、お墓を残していくことが負担になるのではないかという不安がありました。しかし、「私たちがお参り行くよ」という娘の言葉にお墓を建てる決心がつきました。
それから、どんなお墓にしようか考え、いろいろと見ました。母だけが入るお墓ではないけれど、やはり、私のルーツは母の実家です。実家は私のルーツであり、それは娘や孫にとっても同じでもあると思い、お墓を「家」のイメージにしようと思いたちました。
実家は母との思い出の詰まった場所であり、おじさん、おばさんに可愛がられた思い出の場所。そこは私にとって「あたたかな場所」そのものでした。お墓がそんな場所になったらいいなという思いから、お墓づくりをすすめていきました。
私は富士山の麓の富士市で育ちました。そこは雄大な富士山が日常にあります。富士山のキラキラと透明な湧水が出ていて、いたるところにきれいな小川が流れています。今はありませんが、私の生まれた実家は木の板の塀に囲まれる昔ながらの小さな家で台所を出るときれいな小川が流れ、そこで母が野菜を洗ったり、洗濯したり、スイカを冷やしたりしていました。その母親の姿が今でも記憶に鮮明に焼き付いています。
お墓のデザインを考えた時にこの風景をお墓にしたいと思い、石材店に相談しました。担当者さんは私の思いを聞き、絵にしてくれました。
家から見える「富士山」を中央に。その周りには「家」を囲んだ木の塀をイメージして三方を囲み、母との思い出が残る小川を彫刻で表しました。そして、これからの未来を生きる家族への思いとして「絆」の文字を彫刻しました。
私が大好きだった「あたたかな場所」がそのままお墓になりました。
若い時、母にはたくさんの苦労をかけたので、感謝の気持ちがカタチになりとてもうれしいです。
これは私のできる最後の親孝行。
母もきっと、空から喜んでくれているはずです。



足元には魔除けやエネルギーを与えてくれる幾何学模様を刻む

静岡県 S.Y様

お墓建立の際のエピソード

50年以上前に作られた墓はとても危険な場所にあり、お墓参りの際に家族が不安に思っていました。そんな中、親戚が墓じまいをすることを聞き、そちらが参りやすい場所にあるため、お墓を移動させ新たに建立することとなりました。また、お墓を移動させるのに適した星回りがあるそうで、気遣ってくださった知人の紹介で調べることも叶い、建立する年が適していることも判明しました。
大切な身近な人たちの死に接するうちに、いつからか死生観と共にお墓の存在意義についても考えるようになりました。ご先祖様への供養と感謝のほかに生きている者が日々の元気を与えてもらうパワースポットのような場所、人生の節目に自らを振り返ることのできる場所としてもお墓の役割があるのではないかという考えに至り、今回その想いを形にしました。
・手入れがしやすく、清潔さが長く保たれるよう、なるべくシンプルな形状
・文字を霞彫り、それに準じた浅彫りを使用することで、文字を読みやすく清掃しやすい形状に
・一般的な書体よりも、日常と少し離れた静寂をイメージするような書体を選定
・足元には魔除けやエネルギーを与えてくれるとされる「生命の木」という幾何学模様を配置し、お参りに来られた方を元気にという願いを表現
・建立の土台になるコンクリートに浄化作用のある光触媒を配合
上記のようなデザインとこだわりでお墓の形を決めていきました。
仕上がりは、何度も打ち合わせを重ねた彫りや書体の表情もバランスよく、2色の石の組み合わせも程よい重厚感が出ておりました。お店に伺った折に石の種類を確認できてよかったです。以前から使用していた塔婆立ても活用してくださり、新しいお墓とよく馴染んでいます。古いものも活用できたことはうれしいことでした。また、お墓の正面だけでなく、後ろから見たフォルムも素敵でした。
コロナ禍ということもあり、ほとんどが電話とメールでの打ち合わせになりましたが、実物大の模造紙を自宅に送ってくださったため、確認していたとおりに仕上がっていました。丁寧に要望を聞いてくださり、とても満足の仕上がりです。ありがとうございました。



兄弟で実家にUターンして眠る。だから両親、家族とともに楽しんだお墓づくり。

岩手県 吉田様

お墓建立の際のエピソード

両親、家族とともに楽しんだ建墓。
今、私と弟家族は実家を離れ共に関東で暮らしています。私たち兄弟は、お墓に入る時は実家のある盛岡にしたいと考えておりました。数年前に弟夫婦から盛岡市営墓園の募集があると聞き、父の名義で応募し購入することが出来ました。墓園は、山々の緑に包まれ、見晴らしも風通しも良く、気持ちの落ち着く場所でしたので、帰省のおりには両親と散歩がてら墓地の草取りに出掛けました。墓園へ行き来するたび、両親はああいう色の石がいい、こういう型の墓石がいい、などと話していました。もともと、父は庭石など石が大好きで、若い頃は、いろいろな石(岩)を求めて方々に出かけていました。

昨年、両親の希望や意見を聞きながら、墓を建てようと生前建墓を思い立ちました。インターネットで検索した何軒かの石材店に、自分のイメージしたデザイン墓石について相談をしました。石材店は完成イメージ図付きで複数の提案を示してくれました。墓石デザインは、提示された5つの案から3案、2案と、ほぼ週一回の割合で修正を加えてゆき、完成に近い形に至るまで3か月かかりました。この間、正式に契約を取り交わしていなかったにもかかわらず、納得できるまで事細かな対応をしていただきました。完成した形は、最初にイメージしたとおり、和型墓石を簡素にしたもので、部分的に伝統的な銀杏面仕上げや切り出し加工などを施しました。棹石上部・前面・後面、上台、花立・香炉などは、曲面仕上げにしました。墓石の石種は、白御影石と考えていましたので、この地域に合った石質、供給が安定していることなどから、石材店から勧められたいくつかの石の中から紀山石にしました。敷石は、緑色系で堅牢な石と考えてましたので、インド産の「SR」という石を選びました。当初、墓石の加工は、全て国内で行う予定でしたが、大幅に予算を超えるため、石材店の提案で制作工程の一部を中国工場での加工にまわしました。墓石の出来の良し悪しを左右すると言われる検品、石目合せ、研磨作業、特殊加工は国内作業としました。実際、私たちの墓石の制作過程で中台の側面に傷があることが研磨直前に判明しました。確実に検品できたこと、国産石であったことなどから支障なく石を交換することが出来ました。
建墓を思い立ってからほぼ一年、両親、家族そろって墓石の開眼供養を迎えることが出来ました。思えば、両親とともにお店の展示場に石のサンプルを見に伺ったり、工場に伺ったりと墓造りを楽しんだ一年でした。墓石の水磨き部分や小叩き仕上げ部分の経年変化もこれからの楽しみの一つです。家族とともに大切に墓守をしてゆきたいと思います。石材店とご縁をいただいたことに感謝しております。



外地からの引き上げ、戦後2年目の父の死、高度成長…まさにファミリーストーリー。お墓には好きな禅の言葉、人間「本来無一物」を刻む

奈良県 篠原様

お墓建立の際のエピソード

端正なお墓には、好きな言葉を刻む。小学校3年生で終戦の夏、家族8人(私は一番下)で外地から故郷の宮崎に引き上げて来て、戦後2年の夏に父が53才で他界した。当時は土葬であったが、家から墓地まで棺桶の横について歩いた。掘られた穴の横で、棺桶の蓋を閉めて参列者が一人ずつ石で釘を打った。子供ながらに、死がどんなものか理解出来なかったが、これが父との別れというものかとジワッと涙が出たのが想い出される。以来、戦後の苦しい生活の中で、じっと考え込んでいた。墓に眠っている父は私の最高の相談相手であった。
故郷を離れて、大阪で働き始めて10年経過した時、奈良に終の棲家を見出し、平成の時代になった時に石材店の勧めがあり、家から3km離れた生駒山麓にある墓地を求め、墓地の巻石工事を済ませた。その時、私は53才の年、父が他界した年齢であった。
それから平成の時代は終わり、令和の時代となった。私は82才になっていた。石材店から令和の時代となって墓石の建立を勧められて、終活の一つとして墓石を求めることにした。
墓石のデザインをどうするかが問題であった。私の叔父(医師)の多くの記録を基に、その長男(私の従兄)がまとめた文集によると、私の祖父は篠原家四代目の医師であり、神童であったと書かれている。私は大学時代にキリスト教の洗礼を受けたが、大阪で働くようになって教会には行かない生活になった。私の墓は宗教色の無いものにしたいと思った。石材店の担当者は素敵なデザインの墓石を紹介してくれた。
その墓石に何を刻むかになって、私は即座に私の好きな禅の言葉である「人間本来無一物」を刻むことにした。家内は長年茶道を嗜んでいて、私の頼みで、以前に東大寺長老様(故人)にお願いして「本来無一物」と掛軸に書いて頂いていたので、それからの書写を墓石に刻むことにした。
令和元年に見事な端正な墓石が、家から近くの墓地に完成して、大変満足している。墓地には、時折訪れているが、高台から見える光景はすばらしく、私共の家族を守ってくれる場所に相応しいと満足している。





「家族いつも一緒にいたい」の想いを込めた家族全員のほのぼのタッチのイラスト入りお墓

北海道 羽澤様

お墓建立の際のエピソード

若くして亡くなった三女と家族のためのお墓を建立したいと思い、2017年4月、墓所選びからお墓のデザインまで石材店さんにご相談をしました。
お墓づくりへの想いを親身になって聞いて頂き、私たちの要望を取り入れたデザインをいくつか提案して頂きました。
しかし、なかなか娘への想いを考えると、これといったデザインを決断することが出来ないうちに、1年半の月日が経ってしまいました。
「家族いつも一緒にいたい」
というお墓への大きなテーマを持ちつつも、家族みんなで行った旅行のイラストも、不謹慎かなと思いながらお墓のデザインにアレンジ、綺麗なガラスを配して文字はブロンズ、芝生もいいな、などなど、お墓への要望をたくさん伝えたところ、ご提案して頂いたお墓は、要望を上手に取り入れてくれて、自然と調和するさながら小さな公園のようなお墓のデザインで家族一同共感しました。
娘への想いはなかなか断ち切ることはできませんが、楽しかった家族旅行のような気持ちで、娘のお墓参りができればいいなと思います。



終の棲家にハート型のお墓、墓地への設置前に我が家の庭に記念碑として飾る

山梨県 吉川様

お墓建立の際のエピソード

以前から、母は私たち(姉・兄)に「お母さんが死んだら、種差海岸(生まれ故郷、青森県八戸)に散骨して、海を見たときに時々思い出してくれればそれでいいから。」と言っていました。
娘としては、母の願いを当然叶えてあげたいと思いながらも、思い出を語り母を偲ぶ場所としてお墓があれば、残された私たちにとっても心の拠り所になるのになぁ。と少し寂しくも感じていました。
そんな中、一年ほど前のことです。
実家で飼っている愛犬が亡くなりました。17才、大往生でした。
年々弱っていく愛犬を看ながらいつかは・・・。と覚悟はしていたとは思いますが、失った悲しみは深く、娘としては、少しでも早く立ち直って欲しい気持ちと、最期数年間の介護による心労から解放され、休養して欲しいという思いから、嫁ぎ先の山梨県へ母を呼びました。
武田信玄を祭神とする武田神社への散歩が日課となっていた母がある日、散歩から帰って来て満面の笑みで一言。
「一目惚れした!誰が反対してもお母さんの終の棲家にしたい!」と言うのです。
一目惚れ?と思いましたが、話を聞くと、いつもの散歩コースとは別の道を歩いていた道中に石材店があり、そこで出会ってしまったというのです。すぐに私も一緒について行きました。
お店の前には、お墓に対するこれまでの概念を覆すような明るいイメージの墓石が置いてありました。お店の方に話を伺うと、墓石に興味を持って欲しくて遊び心でデザインしたもので、オブジェとして店の前に置いていて、売り物ではないとのことでした。
しかし、そのオブジェに一瞬にして魅了された母は、それから毎日そのオブジェに会いに行き、日に日に想いを募らせ、とうとうお墓を作って頂くことを決心しました。
お墓は不要という母でしたから、想定外のことでしたので、完成した墓石をしばらくは、記念碑として家の庭に置き、熊本へ帰ったら墓地を探そうということになりました。
数年前から母は、パーキンソン病を患っています。
いつまで趣味の庭の手入れができるかは分かりませんが、76歳の今、何とか自分のことは自分でできるようにと、日々努力しながら、愛犬の石像と共に、完成したこの記念碑が『来世の棲家』になるのだと思い、庭を眺めたり、石を磨いたりする時間がとても幸せな時間だと言っています。
そして、石に彫ってある文字の意味は、3人の子や家族、孫7人それぞれが大切にしている言葉や、大好きな文字を1文字ずつ刻んであります。
中心に彫ってある、母の姓「白石家」の家紋は、偶然にも「武田菱」ということで、これも何か山梨とのご縁と感じているようです。
青森から熊本へ嫁いだ母は、女手一つで3人の子を育てました。
弱音など一切吐いたことがない母ですが、きっと私たちは知らない苦労も多かったと思います。
しかし、母の顔に刻まれたしわは、決して大変なことばかりではなく、沢山笑った証でもあり76年の人生をこう振り返りました。
『人生は しわの数だけ 幸多し』
そして、母の似顔絵は孫が描き、さらに青森出身の母の大好物のりんごも取り付けて頂き、母の想い溢れるものになりました。
今は私たち家族も、自分たちの想いが刻まれたこの墓石を、母が生きているこの令和の時代と共に楽しんでいます。
最後に、今回このような母の沢山のわがままを、快く引き受けて下さり、デザイン・設計・山梨から熊本への移送・設置に至るまでご尽力頂きました石材店さん、富士山の絵と共に『ありがとう 山梨からの 神輿石』
という言葉の中に、輿水石材店の「輿」も刻んで欲しいという母の最後のわがままを聞いて頂き、本当にありがとうございました。

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