全優石事務局
〒141-0021 東京都品川区上大崎2-7-15
TEL:03-5423-4014 FAX:03-5423-4050
お問い合わせ
全優石事務局
〒141-0021
東京都品川区上大崎2-7-15
TEL:03-5423-4014
FAX:03-5423-4050
お問い合わせ
石材店・霊園検索トップ > お墓を知る > 有名人のお墓

有名人のお墓

シューマンの墓 1810-1856

ボンに近いエンデニッヒの精神病院の一室。四肢の自由がきかなくなったシューマンを、妻クララが見舞った。彼の死の2日前。2年ぶりに面会を許された妻に、彼はやっとのことで腕を回した。「私は決して忘れません。世界中の宝をもってしても、この抱擁に変えられないでしょう」と後にクララは語っている。ロベルト・シューマンとクララの関係は、夫婦の理想像として長く語られてきた。
1828年ライプチヒで二人は宿命的に出会った。シューマン17歳。クララは9歳。ザクセンの小さな町に生まれた彼は、高校を卒業後、大学に入るためにライプチヒにやって来た。クララは、シューマンの音楽の最初の師になるフリードリッヒ・ヴィークの娘で、父の英才教育の甲斐あって、早くも「天才的ピアニスト」の兆を表わしていた。二人の関係が恋愛に発展するのは7年後。二人は気持を告白しあうが、クララの父ヴィークが二人の前に立ちはだかる。父にとってクララは、自らの音楽教育の“成果”であり、収入をもたらしてくれる大事な“商品”でもあった。シューマンとヴィークの争いは3年も続いたあと裁判にまで発展する。結局、シューマンが勝訴して二人はやっと結ばれるが、驚くのは、その間、ボロボロになりながらシューマンが音楽史に残る優れた歌曲集をいくつも創作していることである。むろん、これらの曲はクララに捧げられたもので、彼女がシューマンの創造力の源になっていることは明らかだ。 シューマンが大作曲家として評価される道のりは決して平坦ではなかった。音楽監督として迎えられたデュッセルドルフでシューマンは、指導性を疑われ、辞任を勧告されてしまう。この時期彼は神経の病に冒され始めていたが、クララの彼に対する愛情は少しも揺るがない。
だが、不幸がクララを襲う。シューマンは幻聴と幻覚に悩まされたあげく、ライン川に身を投げる。漁師に命を救われたが、彼は精神病院に入れられ、もはやクララの元に帰ることはなかった。2年間の入院生活の後、1856年にシューマンは45年の生涯を閉じる。遺体は2日後にボンで埋葬されたが、柩をかつぐ者の中に、最後までシューマン夫妻を助けた若きブラームスの姿があった。
クララはその後77歳まで生き、その時代の「最も優れたピアニスト」という評価を得るまでになったが、演奏活動ではシューマンの曲を弾く機会は決して逃さなかった。彼女も、ボンのシューマンの墓に葬られている。

仏事を知る
お墓を知る
お墓を買う
お墓を守る
お墓の引っ越し・墓じまい
全優石とは

お墓の引越し・ 墓じまい

トップへ