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有名人のお墓

カンディンスキーの墓 1866-1944

なにより絵を描くことが好きで、画家になりたいと憧れていた。だが、13歳の時、夢を諦める。モスクワ大学で、経済学と法学を専攻。優秀な成績を修め、学者として将来が嘱望されていたが、1895年モスクワで目にした印象派展、モネの『積みわら』、その圧倒的な印象を拭いさることができず、翌年ついに人生を絵画にゆだねる決心を固める。彼は、ミュンヘンへ旅立った!
ヴァシリー・カンディンスキー、1866年12月4日モスクワ生まれ。
30歳にしてその夢の実現に向け決然と足を踏みだした。彼は、ミュンヘンで最も人気のあった画塾に、次いでミュンヘン美術学校に学ぶ。クレーと出会ったのはこの頃。交友は長きにわたり実り豊かであった。1910年、自ら芸術家グループを主催。翌年ガブリエーレ・ミュンターと出会う。妻、従妹のアーニャとの結婚生活は破綻。ガブリエーレとの関係は、第一次大戦勃発によりドイツ退去を余儀なくされるまでつづく。その間、友人の示唆により、フォヴィズムの手法を取りいれつつ描くうち、彼は、線と色彩による独自の表現を発見するにいたる。1911年、マルクとともに「青騎士」を結成し、“純粋絵画”を高らかに宣言。1914年、ドイツからロシアに戻り、18年造形芸術局の委員となり奔走するも、革命政府の芸術政策に絶望し、1921年ドイツに帰る。不毛の中で見出したのは唯一、新しい妻ニーナとの愛であった。22年バウハウスに招聘されワイマールに。バウハウスの先進的思想と同僚のクレーの画業に大いに刺激され、彼は次々に実験的試みを展開していった。ところが、ナチスによる横槍がはいり、バウハウスはデッサウに移転。26年、抽象絵画の記念碑的著作『点・線から面へ』を刊行。内外の評価も高まりを見せ、彼の芸術的信念はゆるがぬものとなった。だが、政治状況は悪化の一途をたどり、32年、ナチスによるバウハウス強制閉鎖。夫妻はフランスに逃れ、パリ郊外ヌイイ・シュール・セーヌに居を構える。
1944年7月、動脈硬化症で倒れるまで、画家は毎日カンバスに向かっていた。発病後、徐々に病状は重くなり、78歳の12月13日、ついに彼はその長いエトランジェの生涯を終えた。苦しみはなかったという。1枚の自画像も描かなかった画家、抽象絵画の創始者。「内面的な魂の必然性から発するものこそ美しい、内面的に美しいものこそ美しいのだ」。その声は、いまも<空の青>に静かに谺している。

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