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有名人のお墓

モディリアーニの墓 1884-1920

光が差しこんできたかに思えたとき、無情にも彼の命は絶たれてしまった。貧窮と苦悩から逃れることのできないまま…
狂おしくひたむきにパリを生きたモディリアーニ。35歳の生涯を閉じたのは1920年1月のことであった。二日後、妻ジャンヌは窓から身を投げ“モディ”の後を追った。ひとり残された娘の名もまた、ジャンヌ。美術学校に通う19歳の画学生、ジャンヌ・エビュテルヌに彼が出会ったのは1917年3月、パリに来て12年目のことである。多くの芸術家たちの溜まり場、カフェ・ロトンド。ふたりはその常連のなかで最も美しいカップルだった。
アメデオ・モディリアーニ。1884年7月12日、北イタリアの港町リヴォルノに生れる。スペインから追われてきたユダヤ人の血統をひく一家であった。生来虚弱だったアメデオはしばしば重い病気にかかり、16歳の時、結核に冒される。翌年、転地療養のため母と息子はイタリア各地をめぐる旅に出る。この旅は、イタリア美術の偉大さに目をひらかせる大きな契機となった。彼は幼い頃から鋭い芸術的感性をしめしていた。そして、1906年21歳の冬、ついにパリへ!
彼は繊細で率直で、気位の高い人間だった。注文主や批評家に迎合することも、自分を偽ることも彼にはできなかった。貧しく無名だった。破滅への衝動がつねに彼のうちにはあった。創造への意欲が真に高まりはじめた頃、1916年、彼の芸術の最良の理解者ズボロフスキーとめぐり会う。“ズボ”は彼を援助し、その絵を売るためだれより奔走した。作品は少しずつ認められはじめ、ようやく光が差しつつあるかのようだった。そしてなによりジャンヌがそばにいた。にもかかわらず健康状態の悪化は深刻さをましていく。彼は、友人たちの手でサン・ペール街の慈善病院に運ばれたが、2日後息をひきとった。「懐かしい、イタリア…」それが最後の言葉だった。

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