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有名人のお墓

ショパンの墓 1810-1849(ペール・ラシェーズ墓地)パリ、フランス

1831年の終わり、パリの地を踏んだショパンは後半生をここで送る。ペール・ラシェーズの遺骸の上にはポーランドの土がまかれ、そして心臓は祖国に帰っていった。
1849年10月17日、亡命先のパリで永眠したフレデリック・ショパンの亡骸は、パリの北部にあるペール・ラシェーズ墓地の片隅に手厚く葬られた。フレデリック・ショパンは、1810年、ワルシャワ近郊のジェラゾーヴァ・ヴォーラに生まれた。父ニコラは、フランス語の教師をしていた。貧しい貴族の出身の母ユスティーナは、ショパンに最初のピアノの手ほどきをするとともに、ポーランド民謡に対する愛を育んでくれた。後年、ジョルジュ・サンドは、この母ユスティーナこそがショパンの愛した唯一の女性だったと述懐している。
早くも8歳にして早熟の才を顕わし、2曲の「ポロネーズ」を作曲している。1825年には、ロシア皇帝アレクサンドル2世の目にとまり、ダイヤモンドの指輪を贈られている。
彼の生きた時代は、実に激動の時代でもあった。1830年世にいう「十月蜂起」。ポーランドはいわゆる「大亡命」の時代を迎えるが、ショパンもまた、このとき故郷を去ったひとりであった。結局彼はパリに永住の地を求めることとなる。パリが、ショパンにロスチャイルド男爵の援助理解を、婚約者マリア・ヴォジンスカとの悲恋を、年上のジョルジュ・サンドの献身的な愛を、数多くの芸術家との交流を与えてくれたのだった。とくにサンドとともに過ごした10年間はショパンがその才能を最も豊かに開花させた時期であった。
1847年夏には、サンドとの関係は破綻をきたし、彼の創造力にも衰えが見えはじめる。1849年には病状が悪化し、同年、10月17日、ショパンは、親しい者たちの看取るなか、数々の伝説と逸話に満ちた39年の劇的な生涯を閉じた。最後に遺された言葉は、異郷に倒れ故郷の母を気遣う、「お母さん、ぼくの可哀相なお母さん!」であった。

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