2014/04/03 【お墓博士の一言】
先日お会いした鎌田實さんが著書の中で「僕は散骨が理想だと思っているのだが、恩を受けた岩次郎さんが僕を待っていると思うので、勝手気ままに生きてきたカマタだが、ここだけはちょっと我慢して岩次郎さんとふみさんが待っているお墓に入る」と書かれていました。
鎌田さんのプロフィール並びに岩次郎さんについては、前のブログ(2014/3/6)で書かせていただきましたが、鎌田さんは医療の分野でも作家としても大変高名な先生で、ベスト・ファーザーイエローリボン賞(学術・文化部門)も受賞されておられます。
その先生に物申すのははなはだ僭越とは思いましたが、とても気さくで温和な方でしたので「先生の場合は岩次郎さんへの恩返しという理由がなくても散骨はだめですよ…」と申し上げました。
何故ならお墓はその人だけのものではないからです。お墓は亡き人を供養する為であると同時に、この世に残された人の心の拠り所としてより以上に大切なものだからです。
鎌田先生は「命の主人公は本人、だから死に臨んでも自己決定すべき」というお考えで患者に接してこられ、患者の意思を最大限に尊重する医療を実施しておられます。例えば末期的な患者から「お餅が食べたい」「家に帰りたい」「浅間山を見に行きたい」等々の訴えがあれば、その意志、気持ちを最大限尊重し応えておられます。餅なんか食べさせて喉につかえたら…、病院から連れ出し万一のことがあったら…と病院は責任回避で許可しないのが通常ですが、先生は命の主人公は本人、その意思を尊重してあげるべきという姿勢でご家族と相談の上、出来る限り希望に応えようと臨んでおられます。
こういう方ですから、国内外を問わず先生を慕い、尊敬し、先生を心の支えに頑張っている人、先生を師として仰ぎ、先生を目指して努力している人たちがたくさんいます。もし先生が散骨してしまったら、残された人の心の拠り所がなくなってしまいます。お墓は精神の触れ合いの場です。墓前にぬかずき、先生への想いを語ることが出来ます。こういう場合、先生だったらどうされるだろうと教えを乞うことが出来ます。ですから先生のような方は、散骨は絶対だめですよと申し上げました。
また先生が国内外でなされている原発患者の救護や寄付行為は、後に続く人たちを育てる為にも語り継がなければならないし、その為にもお墓は必要ですと申し上げました。
鎌田先生は分かったわかったとにこにこ笑顔で私の話を聞いて下さいました。いい方ですね。