2015/05/18 【カルチャー情報】
「明治維新の父」と呼ばれる吉田松陰は、わずか29歳で生涯を閉じるまでに、明治維新の志士を多数育てたことで知られています。今回は、近年再注目されている彼の生涯と功績についてご紹介します。
松下村塾を主宰して志士を育成
松下村(しょうかそん)塾は、1842年に松陰の叔父の玉木文之進が設立しました。1857年に吉田松陰が引き継いでからは、身分を問わずに塾生を育成する塾になったのです。塾生は約90名在籍していたと言われていますが、高杉晋作や久坂玄瑞だけでなく、後の総理大臣となる伊藤博文や山縣有朋など、維新後に国政に携わることになる人材を多く輩出しています。
個性を重んじる教育方針
松陰が主宰する松下村塾は、学問の目的を「人の人たる所以」を知り、実生活に反映させることだったと言います。正規の教育課程は存在せず、塾生が学びたい内容を勉強させ、わからない部分を講義する方針を採っていました。これにより、一人ひとりの塾生の個性が伸びる環境ができたと考えられています。
真の礼法を育むための塾生との交流
松下村塾は、礼法規則については過度に教えず、あくまでも学友関係としての関係を構築することに重きを置いていました。過度な教えは礼法が形骸化してしまうと考え、松陰は人間同士の真の礼法を築くべく、塾生と共同作業をしていたようです。師自らが平等なやりとりを重んじていたため、武士や町民など、身分を問わずに入塾できる環境が形成できたと見られています。
いつでも学べる自由な塾風
時間割がない教育方針も、松下村塾の特徴です。松陰は知識を与えるだけでなく、人間教育に心を配ったと見られており、時間にとらわれずに塾生が学ぶことができる環境を作っていたそうです。
松陰は、安政の大獄に連座し、29歳のときに処刑されてしまいます。しかし、松下村塾で教えていた2年あまりの間、優れた教育環境を通じて、近代日本の礎を築く人材が何人も育ちました。
指導者としての功績を知った上で彼の書物や人物像に触れると、今まで以上に魅力的に見えるに違いありません。