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お問い合わせに関するご注意
1 霊園資料は、各霊園を担当している全優石認定店より直接お客様へご送付させて頂きます。
2 霊園見学の際は、必ず全優石のお店に連絡ください。
3 霊園に直接フリーで訪問されますと全優石のお店で建立できないことがあります。
4 全優石のお店でお墓を建立されるとお客様のお墓をダブルでお守りする全優石の保証書をおつけします。
(一部除外あり)
平安時代、桓武天皇の発願により、伝教大師最澄は京都西山の地に「久遠寺」を創建しました。 恐らく800年前後のことと思われます。この「久遠寺」が西山別院の前身となりますが、やがて廃れ長らく荒れていた模様です。 その寺基を、1314(正和3)年、本願寺第三代宗主覚如上人が復興されました。 以後「久遠寺」は浄土真宗「念仏の道場」となります。 覚如上人ご往生の後はご廟所がつくられ、「久遠寺」は本願寺歴代宗主兼帯所として大切にされてきました。ところが室町期に入ると、応仁の乱が勃発。戦国時代には織田信長との抗争が起きるなど、本願寺に対する法難が相次ぎ、「久遠寺」は騒乱の最中再び荒廃していきました。 漸く再興の兆しが見え始めたのは、乱世が終焉を迎え、本願寺の寺基が堀川花屋町に定まり、東西本願寺の分立騒動も落ち着いた頃。第十四代寂如上人先導のもと「久遠寺」の寺地は、徐々に整っていきます。 1756(宝暦6)年、第17代法如上人の時、本願寺旧本堂(阿弥陀堂)が、新たな本堂造営に伴い、西山の寺地に移築されました。これを機会に、諸堂が次々と建立され、やがて一時は本願寺筆頭別院に列せられるほど、当寺院は興隆しました。 大正時代、現中央仏教学院の元となる学林が設けられました。その流れを汲み、現在では浄土真宗本願寺派僧侶を育成する「得度習礼・教師教修研修道場」と、宗教的情操教育を主眼とする 「西山幼稚園」が境内に併設されています。 覚如上人最大のご功績は、本願寺教団を創設されたことにあります。 そのフロンティア精神は今尚西山の地に息づき、未来の伝道者を育んでいるのです。
下記の石材店であれば、全優石保証書が付きます。(一部例外あり)
区画使用料墓石・工事管理料備考
0.81m²1,500,000円~0円~5,000円~浄土真宗本願寺派の方に限ります

お墓の引越し・ 墓じまい