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有名人のお墓

ガリレオの墓 1564-1642

エ・プレ・シムウブエ―それでも地球は動く、と呟いたのはガリレオ69歳の夏のことであった。
近代科学の父、ガリレオ・ガリレイは1564年2月15日、イタリアのピサに生まれた。修道院で学問の初歩を学び、その後、フィレンツェで数学者リッチと出会い、才能をめきめきと伸ばし大いに頭角を現した。
1609年オランダで発見された望遠鏡を自ら改良したのを機に、彼は天体観測と研究にのめりこんでいく。観測と様々な発見を通じ、地動説に対する確信はますます強まっていき、天文観測の成果を『星界の報告』にまとめ公表。1610年、ピサ大学特別数学者兼トスカナ公付き首席数学者・哲学者の地位を得る。名声と栄光の絶頂の時であった。
だが、彼の数々の学問的な発見や社会的な活躍は、次第に、声高な批判や嫉妬をもたらすようになっていった。やがて、コペルニクス説の立場をとるガリレオに対する告発がなされ、1616年、法王丁はコペルニクスの著作を禁書した。
ガリレオは科学者としての良心と名誉を賭し、地動説を論証する大著にとりかかる。老齢と持病の悪化にもかかわらず、なんとしても、政治と宗教の圧迫をはねのけたかった。1630年、揺るがぬ自信をもって、『天文対話』は公刊された。けれど、自説の撤回を余儀なくされ、自宅監禁の憂き目にあったガリレオは、失意の底に沈んでいた。が、ほどなく『新科学対話』の執筆にとりかかる。数々の妨害にもめげず、1638年オランダで出版。非常な売れ行きだったという。
その4年後の1642年1月8日、弟子たちに看取られつつガリレオは、長い戦いの後の静かな眠りについた。かの「それでも地球は動く」の逸話は、けれど、たしかに彼の不撓不屈の魂のありようをシンボリックに捉えている。永眠の地はフィレンツェ。その自由で開放的な空気をガリレオは心から愛していた。

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