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〒141-0021 東京都品川区上大崎2-7-15
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想いを込めたお墓デザインコンテスト

第14回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。



雪だるまには「夢」の一文字を彫刻

北海道 真保様

お墓建立の際のエピソード

私は1985年に早来雪だるま郵便局の局長に就任しました。翌年、収益増と地元名物づくりを目指し、発泡スチロールに本物の雪を詰めた「雪ダルマゆうパック」を考案。今年で23年目を迎え、毎年全国各地から注文が相次ぐ名物に成長しました。 当初は奇抜な発想に周囲は冷ややかでしたが、本州育ちの妻は「雪のない地域の人にはきっと喜んでもらえる」と共感し、励ましてくれました。自らもハヤキタユキダルマカイ代表として、凍てつく冬に、パート女性と雪詰め作業を手伝ってくれ、文字通り雪ダルマゆうパックを二人三脚で育て上げてくれました。 雪ダルマゆうパック20周年の際に、白御影石製の大きな雪だるまを「ここまでこだわった雪だるま。死んでもこだわりたい夢」の想いを込め、いずれは自らの墓石として使用するつもりで、地元石材店に注文。PRを兼ねて郵便局前に設置しました。 その2年後、長年手伝ってくれた妻が他界。感謝を込めて、郵便局の雪だるまを墓地に移転しました。雪だるまには「夢」の一文字を彫刻、向かって左側に7体の小さな雪だるまを新たに製作。「七転び八起き」をなぞった形になっています。 思いがけない早い時期でのお墓への転用を迎えましたが、亡き妻もきっと喜んでくれていると思います。自分の夢と一緒に歩んでくれた妻には、感謝の気持ちでいっぱいです。



亡き父へ、家族に、そして多くの人への感謝、「ありがとう」の文字入りお墓

兵庫県 大串様

お墓建立の際のエピソード

2年前、私たち夫婦が神戸へ移ったすぐ後に埼玉の実家に住む父の胃癌が発症、闘病生活がはじまりました。そして昨年11月15日、同居の母や妹たちが見守る中、父はやさしい笑顔で旅だち、通夜や告別式でたくさんの方々に見送っていただきました。 闘病中にありながら看護師の妹が付き添い遠く神戸まで新幹線で会いに来てくれた父。私たちの人生をずっとずっと応援してくれてきた父。そんな父への感謝の気持ちを「ありがとう」の文字にあらわしました。そして…同じ屋根の下でずっと父とともに暮らし見守ってくれた母や妹たちに、「ありがとう」。職場や地域で父をささえてくださった方々へ、「ありがとう」。お墓には朝おひさまがあたりはじめます。いつもいつも天の恵みを「ありがとう」。ときには雨が降るときもあります。大地を潤してくれて「ありがとう」。手をあわせてくださる方へ。お参りしてくださり「ありがとう」。毎日うかがえない私たちにかわって霊園をいつもきれいにしてくださる方へ、「ありがとう」。 いつまでも「感謝」の気持ちを忘れずに、これからも「夢」を抱き続け、やわらかなピンク色の「ハート」の如く、やさしさをもっていきていきたいと思います。(花台には私どもの大好きな旋律を音符のみデザインしてあります。)



母への感謝の想いを込めて「すべてに感謝 ありがとう」の文字入りお墓

鹿児島県 斉之平様

お墓建立の際のエピソード

いつも明るく、人が大好きな母でした。糖尿病から腎臓を患い、週3回の透析生活はさぞ辛かっただろうと思いますが、体調の良い時は来客があるとお茶やコーヒーのおもてなしを忘れない母でした。本当にいろいろな方に支えられ、生き抜いてこられた73年間だったと思います。そんな感謝の想いを込めて「すべてに感謝 ありがとう」の文字を刻みました。お花立ても優しいハート型です。お参りに来てくださった方と一緒に。テーブルでお茶を楽しんでいる母の姿が目に浮かぶようです。命ある限り、感謝しながら生きていたいものですね。



「ありがとう」が好きだったお母さんにお返しの「ありがとう」文字入りお墓

熊本県 緒方様

お墓建立の際のエピソード

「ありがとう」が好きだったお母さん「ありがとう」。母親がいつも家族に言っていた言葉。常に感謝の気持ちを大切にしていた母親。我が家でもいつも自然と「ありがとう」と言葉が飛んでいた。あのときは「ありがとう」と自然と当たり前のように言っていたが、母親が亡くなり「ありがとう」の言葉の素晴らしさが身にしみた。お母さん「ありがとう」。お母さん、常に家族の事を一番に思ってくれて「ありがとう」。暖かい愛情を「ありがとう」。 「ありがとう」は母親が大切にしていた言葉でもあり、私たちから母親に対してのお礼の言葉。母親が亡くなってから母親に感謝の気持ちが絶えない。その時、母親は素敵な言葉を家庭に残してくれたと思った。ありがとう、お母さん。 でも今お母さんは、風になって私たちの傍にいてくれてるよね。石材店さんには、家族の思いを伝え、何度も頭を悩ませてもらいありがとうございました。おかげですばらしいお墓ができました。



孫が墓前の花壇で遊んだりできるガーデニング型お墓

北海道 佐々木様

お墓建立の際のエピソード

私たちの母は、誰からも好かれる明るく優しい愛に満ち溢れていた素敵な母でした。 そんな母に私達はここまで、女手一つで一生懸命に育てていただきました。 今度は、私たち兄妹が、いつかは恩返しをと思っていた矢先に、体調を崩し闘病生活を強いられるようになってしまいました。そして、平成17年11月14日、52歳の若さでこの世を去ってしまいました。私たち兄妹にとって、とても辛い出来事となりました。 母は、生前、草花が好きだったので、そんな母がいつまでも大地の暖かさが感じられるように、そして緑と花で明るい雰囲気のお墓をつくってあげたい。と思い2 人で話し合いながら、芝生とお花をお墓のデザインに取り入れ建立しました。今では、孫となる息子も墓前にきては、花壇で遊んだりして、おばあちゃんに会いにくるのを、楽しみにしているようです。



花壇付き、母の笑顔のようなアーチ型お墓

宮城県 鈴木様

お墓建立の際のエピソード

「母の笑顔のお墓」。お母さんの笑顔忘れません。 いつも、いつも楽しそうにしているお母さんでした。私達も誘われて笑顔になりました。お母さんの家族で幸せでした。「家族って楽しい」って教えてもらいました。 今もいっぱいの想い出と暮らしています。 お母さんの笑顔は素敵でした。そんなお母さんのお墓を思い…。石材店の展示場に行った時、「このお墓、お母さんみたい」と皆が自然に言い出しました。ステンドグラス、花壇の花、洋風のアーチ、お母さんにふさわしい佇まいに一目惚れ。私達は、本当にお母さんから幸せをもらったんだと思いました。そして、花壇にいっぱいの花を植えました。お母さん私達は本当に幸せでした。私達の子供達もきっと明るい家庭を築くと思います。お母さんの笑顔を語り継いでいきます。いつまでもお母さんの笑顔と一緒です。



モザイク画作家が亡き父のために自作した睡蓮のモザイク画入りお墓

千葉県 塚原様

お墓建立の際のエピソード

このお墓は私の父のお墓です。お墓には私が制作したモザイクを施しました。 2001年に私がモザイクを習いにイタリアに留学を始めた頃から、父の具合はあまり良くなかったのですが、私の夢の為に留学を許してくれました。休みになると必ず日本に帰国しながら、三年間の留学生活を送っておりました。 しかし3年生の卒業間近の5月に入ると、毎週末、母から国際電話がかかってきて、父の体調が日に日に悪くなっている事を知らされました。6月上旬には卒業して日本に帰国できるので、それまで何とかもってほしいという願いも届かず、卒業試験が始まる1週間前に父が亡くなりました。 卒業して、日本に完全帰国してからの私の初めての作品がこのお墓となりました。お花が大好きだった父、私の留学の後押しをしてくれた父、毎月お墓参りを欠かした事がなかった父、きれい好きな父、賑やかな事が大好きな父。そんな父が眠る場所をいつも華やかに彩ってくれるモザイクでお墓を作りました。 石材店には額縁加工でお願いして、そのまま設置していただき、その後、アトリエで制作した睡蓮のモザイク(大理石とマルトと呼ばれるイタリア製のガラスで制作)を貼り付けました。お花がなくても華やかな雰囲気をもったお墓になったと父も喜んでくれていると想います。 お墓を制作するにあたって、様々なお墓を見させて頂きました。ここ数年の墓石がかなり個性的になってきているのを実感しました。お墓はその家族(一族)のものから個人個人を偲ぶものに変わってきているのですね。



絵画教師の経験を活かし、油粘土でミニチュアモデルを制作、石材店が完成させたお墓

岐阜県 加納様

お墓建立の際のエピソード

「ゆっくり旅ができるように…」という想いを胸に、他の墓にはないデザインで、夢や期待が感じられるように。いつもきれいな墓であるように。絵画教師であった経験を活かし、自分でデザインし、塑像用油粘土でお墓のミニチュア版を製作。石材店に依頼して完成しました。石材店は、かつての教え子である。



亡くなった順に、一段ずつ積み重ねるデザイナー自作のデザインのお墓

東京都 福井様

お墓建立の際のエピソード

善養寺(天台宗)は西巣鴨の寺町にあって1170年の歴史があり江戸三大閻魔(えんま)のひとつにあげられている。 境内には元禄時代・画家の尾形光琳の実弟で陶工(都の史跡)乾山。フランスに渡った物理学者、湯浅年子、羽の花(年寄武蔵川)などのお墓がある。 現住職の舘克亮師は第26世にあたる。 私のお墓はこの寺で24世であった谷行順師(伯父)のお世話もあり、昭和49年に建立した。 現在、父母と兄の三人とご先祖を祭る。法要、彼岸会、施餓鬼…と善養寺には縁戚のお墓が4ヵ所はあるから当日はいつも大忙し! 1974 年、この頃は今のようにお墓のデザインをすることなどなかったが私の職業(グラフィックデザイン)から私のデザインで建立したかった。コンセプトに < ひとつ積んではだれのため…ふたつ積んではなんのため… > 。段の数だけ仏さまがいらっしゃる。この事から設計図を残すことにした。このぶんで行けば(年の順)私は5段目に納まる。合掌。



亡き父遺作の「墓石イメージスケッチ」をもとに、「親子ジョイントベンチャー」で作り上げたお墓

宮城県 吉野様

お墓建立の際のエピソード

長い闘病生活の末、親父が息を引き取ったのは、「あやめ」の咲く6月。生涯「建築屋」だった親父は絵が好きで、ガキの頃はよくスケッチしに山や海へ連れていってもらったものだ。 そんな親父が生前に残していた、「墓石のイメージスケッチ」。お袋にそれを見せられたのは、親父が亡くなってから間もなくのこと。「親父が残していった最後の作品」。そう思うと、涙が止まらなかった。 「本来の墓石」としての形には反するのかもしれないが、親父の意向に背く気はまったく無かった。未完成であったそのスケッチを元に、夜な夜な、自分なりにイメージを固めていった。親父はいわば「先生」、私はそれを具現化させる「設計補助」といったところか…。 家族みんなの希望で、親父が生前に描いた「あやめ」のスケッチを彫刻し、墓石に施した。直線的な墓石に、親父のあたたかい温もりが生まれた。見事、意のまま完成した墓石。初の「親子ジョイントベンチャー」が墓石建立になろうとは思いもしなかったが、きっと親父も喜んでくれるに違いない。



富士山と日の出、駿河湾の波の3つを表現した時前デザインお墓

静岡県 村松様

お墓建立の際のエピソード

一昨年の6月に父が亡くなりました。家にはまだお墓も無く、初めての事で何も分からず石材店に行きました。当初は普通の洋型墓石を考えていました。お話をしていく中で石材店の方から「お墓は形にとらわれず自由に作っても大丈夫ですよ」と教えて頂きました。 その後、何度かお墓の形について打合せをしていく中で、担当の方から「村松さんは何のお仕事をされているんですか?」と質問がありました。「僕の仕事は主に店舗などのデザインをするデザイナーですよ」と答えると 「お父さんの為にお墓をデザインしたらどうですか?」と提案がありました。 そう言えば父は生前、休日には母と一緒に、自分が手掛けた作品を見て回ることを楽しみにしていた事を思い出し、僕がデザインしたお墓なら父も天国できっと喜んでくれるだろうとデザインしてみることにしました。 僕たちが育った町「焼津市」から見える景色をイメージし、父の大好きな富士山と日の出、駿河湾の波の3つを表現しました。太陽には家族の想い「愛」の文字を彫刻しました。完成し自分がデザインしたお墓に父を納骨出来た時は、とても感動しました。 父も満足してくれていると思いますし自分も親孝行が出来た様で気持ちが落ち着きました。またお墓参りに来てくれる人たちにも、すぐ父を見つけて頂ける形になったと思います。たくさんの方に会いに来て頂けるお墓となりました。



死の床で描いた「宙」の文字入りお墓。人は死んだら星になる。

宮城県 小林様

お墓建立の際のエピソード

彗星煌く墓石 「俺の墓石をつくってくれないか!?」。急に病床の父が私に言った。 そのとき父は、食道がんで入院したばかりで、多少咳が出るものの、しっかりとしたものであった。なぜそんな急に墓石をつくれ!と言うのか…まだ死を意識するには早すぎるだろう。正直私は戸惑った。 しかし、父はそんなことにはお構いなしで、「もう構想はできている。これを見てくれ。」と言って、自分のデザインした墓石を私に見せた。そこには、冬の大三角形(オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン)の中に、ひときわ大きく煌く彗星が描かれてあった。「この彗星は何?」と聞くと、「これは、しし座流星群が飛来したときの彗星だ!この写真も見てくれ。」と、まさに石に刻まんとしている構図そのものの写真を取り出して見せた。 それは父が自慢の写真で、オリオン座の中に彗星がきれいに写っており、以前に年賀状にも載せたことのあるものであった。なるほど、これをデザインしろ、とは父らしい…。 さらに父の要望は、「その他に、俺の書く文字を入れてくれ。宇宙の「宙」という字を考えている。ここ(病床)で書くから、できたらその文字を石に刻んでくれ。」と、続いた。 父は趣味が多彩で習字も準師範の腕前だ。私などは残念ながら、足元にも及ばない。これこそ父ならではの、世に二つとない墓石ができあがることだろう。 件のデザインを石材店さんへお見せすると、「ん???、この彗星の部分が難しいですね。ただ石に刻んでも彗星が強調されないし、そうだ、彗星の部分をステンレスでつくって立体的にみせましょう。」と前向きな意見をいただき、デザインをしていただくことにした。 何回通っただろうか。石にはめ込んだデザインができあがると、それを持って父の入院する病院へ見せに行き、星の大きさや配置、色等の指示を仰ぐ。またその要望を持って石屋さんに行く。 さらに父のこだわりは自分で書いた「宙」の文字を石にはめ込むところに向けられ、一度文字を書いたが、まだ気に入らないようであった。父が私に墓石のデザインを頼んでから、もう1ヶ月が経過していた。なんとか文字を書き直そうとしても、そのころは、筆を持つこともできなくなっていた。 そこで、父の師とも仰ぐ方に、なんとか「宙」の文字を石に刻みたいが、父の容態が思わしくないために書き直すことができない、どうしたらよいか。と相談したところ、なんと墓石屋さんにまで出向いて、社長の操るパソコンをにらみ、父の書いた「宙」の文字を修正してくれた。 そしてとうとう、「宙」の文字が生き生きとした素晴らしいものになり、最終デザインができあがった。喜び勇んでそれを持って父のところに行くと、なんともいえない笑みをうかべて、「ん、合格!」と言った。 その瞬間これまでやってきたことが報われた思いであった。そこから作成作業に入っていったが、父はその完成を見ずにこの世を去った。墓石が完成したのは、父の49日の法要のときで、そこにはまさに父のデザインした冬の大三角形に、銀色の彗星が煌いていた。父も満足していることであろう。



書家の妹が残した作品「虚心坦壊」を刻んだお墓

北海道 鈴木様

お墓建立の際のエピソード

?自分らしい生き方を刻んだ自筆のお墓? 妹は書家として活躍していましたが、難病による闘病の末、昨年旅立ちました。最後は筆をとることも出来ませんでした。妹らしいお墓を作ってあげたい想いから、妹が生前元気な時自筆で残していた文字(作品・「虚心坦懐」・・・心が穏やかでありのままを素直に受けられる心の広い有様)を刻んであげる事で、妹らしさを表現しました。お墓全体のデザインも妹らしいすがすがしいシンプルなものにまとめました。本人自筆の作品を刻んだお墓で妹は永遠の眠り安らぐものと思います。



「天国でも素敵なメロディーをずっと奏でてくださいね」の想いを込めたピアノ型お墓

静岡県 川島様

お墓建立の際のエピソード

音楽の教師をしていた主人。誰とでも分け隔てなく接する主人は人望も厚くみんなに愛された人でした。誰よりも音楽が大好きで、音楽の話になるといつも目を輝かせている人でした。 主人の影響もあって、2人の娘も幼少の頃からピアノや音楽が大好きで、家族が集まると話題の中心はいつも音楽でした。そんな主人が病にかかり74歳で逝ってしまいました。 生前、一生懸命みんなに音楽を教えていた主人に、何かしてあげられる事がないかと考えていたところ、そういえば、元気な頃に主人が冗談で「俺の葬儀の時には大地讃頌で送ってくれ」と言っていた事を思い出しました。何か音楽に関連したお墓が出来ないかと思い、石材店に相談に行ったところ「ピアノをイメージしたお墓にしたらどうですか?」という提案がありました。 最初は「えっ!ピアノのお墓?」と思いましたが、何度か石材店さんと打合せをしていくうちにイメージが付いてきました。長年にわたり合唱指導に力を注いだ主人の証になるようなお墓にしたいと家族みんなで考えました。 グランドピアノをかたどった石碑に「奏」の1文字を刻み「天国でも素敵なメロディーをずっと奏でてくださいね」と私の想いを込めました。 字体は主人が指揮者している時の姿を思い浮かべ毛筆の柔らかさで表現したいと思い、主人の教え子で現在は書道の先生をされている方にお願いしたところ、「川島先生の事なら」と快くひきうけて頂き、その書体をそのまま彫刻しました。 上台には生前、主人が大好きだった曲「大地讃頌」の楽譜を、お父さんに感謝の気持ちを込めてと長女が手書きしたものをそのまま彫刻しました。 その楽譜の横には「天国でもピアノを楽しんで下さいね」と次女の気持ちから、さり気なくピアノの鍵盤を彫刻しました。家族はもちろんですが、本当に主人は周りの方々に慕われ、愛のある恵まれた幸せな人生を送った人だと思います。主人にピッタリのお墓になり、このお墓なら主人も天国にいても音楽三昧で満足でしょう。 自分達の思いが形となり、私達も本当に満足しております。百ヶ日は親族が集まり、お墓の前で「大地讃頌」を流して、主人の冥福を祈りました。



ハワイの象徴となるダイヤモンドヘッドの形にしたお墓

静岡県 横山様

お墓建立の際のエピソード

主人は形式にとらわれるのが嫌いな人でした。ハワイが大好きで生前、二人で良く出掛けたのが懐かしく思います。そして主人と突然の別れに、どうしたらよいか呆然とする気持ちの中、日々は過ぎていきます。 主人を供養するのにお墓も建てなくてはと思い石材店へ相談に行きました。いざお墓を見ると本当に色んな種類があって迷いました。石材店の方と相談し主人と私らしいお墓にしようと思った時に大好きなハワイが浮かびました。お墓の全体をハワイのイメージでまとめ石碑はハワイの象徴となるダイアモンドヘッドの形にしました。 文字はRest in peace「レスト インピース」=やすらかに眠るという意味ですが、字の如くシンプルに刻みました。「YOKOYAMA」の文字はハワイに旅行へ行った時、現地の絵描きの方に書いてもらった絵文字で魚やヤシの木、蝶などハワイの自然をテーマに描かれている文字なので主人らしさを感じ、そのまま彫刻して頂きました。自然が好きだったので土台の回りを花壇にし、龍の髭を植えいつも緑が絶えないようにしました。 また、ゆっくりお墓参りが出来るようベンチを設けました。日本とハワイのイメージがマッチしているお墓になりました。もう主人と一緒にハワイに行くことはできませんがお参りに行く度に、主人とハワイに居るような感じがして寂しさが紛れます。



長く伸びた裾野に、孫たちが座ったり寝そべったりできる山型、自然石のお墓

群馬県 土澤様

お墓建立の際のエピソード

思えば妻と私は登山が好きで、それが縁で結ばれました。春は山菜摘み、夏は山女釣り、時には妻と登山と、群馬の山々と深いつながりを持ちながら生活を営んできました。そこで私たちが永眠する墓は、山をイメージさせるものがいいと考えていました。お世話になった石材店さんに、自然のままの「伊達冠石」があるとの情報を得、早速見に行きました。そこには、荒々しくそびえ立つ妙義山と雄大な裾野の赤城山を合わせたような石がありました。 娘の夫からの「長く伸びた裾野に、孫たちが座ったり寝そべったり出来るようにすれば、いつもおじいちゃんたちに抱かれているような気がするよ」との提案から、素材そのままの形を生かして墓を作ることにしました。通常であれば墓石に上るなどもってのほかでしょうが、孫たちが自由に触れていいという、常識破りなお墓です。 墓石には「蔵」という書をしたためました。「蔵」とは、仏教の唯識で「心」という意味です。娘や孫たちはこのお墓に入ることはないかも知れません。しかし、ここにくればいつでも心が通じ合います。妻との山々での思い出が、孫たちにもつながる墓。妻と私、そして家族との絆を感じさせてくれるものが出来上がりました。



世界で一つの墓石、真心こもった自然石のお墓

宮城県 若生様

お墓建立の際のエピソード

茶道の勉強をしていた30年ほど前に、京都・南禅寺の管長さんのお話をお聞きする機会がございました。その時のお話で印象深かったのは○(下が欠けている)「無一物」のお話でした。禅の言葉で、一切の煩悩から離脱した境地をさすそうです。以来、茶道の教えでもある「人間は丸い心を持ち、欲を出さない」の教えを心掛け生きてきました。その想いを託して、墓石には○「無一物」を刻みました。先祖の供養を、世界で一つの墓石として。真心こもった自然石で仕上げて頂きました。



いつも自然体だった母を語る自然石のお墓

宮城県 Y様

お墓建立の際のエピソード

母は自分をけっして飾ることの無い人でした。それは外見上(外面上)はもちろん、内面上もそうでした。常に自然体、それでいながら存在感のある…そんな母でした。 母が亡くなり、「どんなお墓にしようか」と考えた時、家族の誰からともなく「自然石」という思いになりました。家族の中でも特に父は「自然石」という思いが強く、それは生前、常に自然体であった母を思ってのことでした。 それからは毎週のように石屋さんを見て回りましたが、なかなか思いに適う石にめぐり会う事が出来ませんでした。そんなある日、石材店でこの石に出会ったのです。 それは自分自身を飾るようなことはしていないもののとても存在感のある自然石、まさしく母のような石でした。長年、苦楽を共に過ごしてきた母の存在感を家族の誰よりも大きく感じていた父は、その石の存在感に母を感じていたのかも知れません。 墓石が決まってからは、いかにその石を活かしたお墓に仕上げるかということを念頭に石材店と相談させていただきました。その結果、墓石台をシンプルにすることで墓石の存在感を最大限に引き出していただくことができました。 それでいてフロアーには滑り止めを兼ねて波紋を造っていただき、まるで日本庭園を思わせるようなものとなりました。生前、京都の日本庭園が好きだった母もさぞかし満足していることでしょう。 墓石の文字には人と人との和を大事にした母を思い「和」と入れていただき、法名碑の部分には母の大好きだったバラの花をそっと入れていただきました。決して着飾ったりしてはいないものの存在感のある、まさしく母のようなお墓を造ることができ家族一同、とても満足しています。



人柄を偲ばせるアマチュア無線機を配した亡父讃歌型お墓

富山県 澤田様

お墓建立の際のエピソード

「お父さん ありがとう」。優しく家族思いであった父、職場では人間関係を大切にし、電信電話事業発展に全力を傾注し社総裁の表彰を受け、また叙位叙勲の栄にも浴しました。趣味も豊富でアマチュア無線のコールサインJA9ADは県下で第一号でした 昨年は地域活動やボランティア活動に励み誰からも慕われた父でした。 丁度墓の建て替え時期でもあり石材店を訪れ、たまたま見せていただいたCG案に、なにか父の面影を感じ基本デザインを即決しました。安定感のあるベース部は家族の安全を、重厚感のある上部は父の趣味だった無線をメモリアルさせる石碑スタイルに、右側の置物は父の業績を讃え感謝の想いを込めました。



亡き夫が好きだった沈丁花の花柄彫刻のお墓

群馬県 新井様

お墓建立の際のエピソード

いろいろと霊園を見て歩き、ヒントを頂きながら自分達の思いにぴったりの形が見つかりました。ピンク系の優しい墓石は亡き夫の優しい心そのものかもしれません。 いろんな花を愛した夫、その中でも春一番を告げる沈丁花が特に好きだったようでした。 春を待つ心と沈丁花の春一番の香り。かわいいピンクの沈丁花と春を迎えた喜び。物置台に沈丁花を彫りました。夫の脱いだ冬のコートをそっと置いてほしいと思います。

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