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- お墓博士(全優石会長 吉田剛)の一言 -

日本への恩を忘れないトルコ人

2014/02/19 【お墓博士の一言】

イラン・イラク戦争時の1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から48時間後、イランの上空を飛ぶ飛行機は全て撃ち落とす」というとんでもない無差別攻撃宣言を世界に向けて発信しまた。びっくりした各国は軍用機や民間機でイラン在住の自国民救出に向かいましたが、当時日本は海外派遣不可の原則に縛られて、航空自衛隊の派遣が出来ず、日本航空は航行の安全が保障されない限り旅客機は飛ばせないという最悪の事態になりました。

各国のイラン在住人が自国からの救援機で次々に飛び去っていく中、日本人は日本からの救援機が来ないため、他国の救援機に助けを求めましたが、いずれも満席で取り残されパニック状態に陥りました。その時トルコから二機の旅客機が飛来し、日本人215名全員を救出しトルコ経由で日本に送り届けてくれたのです。空港で絶望の淵にいた日本人の歓喜の気持ちはいかばかりであったことでしょう。タイムリミットの1時間15分前だったそうです。

何故トルコから救援に来てくれたのか。日本政府の対応遅れで万策尽きた当時のイラン駐在大使が藁をもつかむ気持ちでトルコのイラン駐在大使に窮状を告げたところ、「すぐ本国に連絡し、救援機を派遣させましょう。トルコ人は昔エルトゥルル号遭難の際に日本人がしてくれた献身的な救援活動の恩義を今も忘れていません。その恩返しが少しでもできるなら…」と飛行機を派遣してくれたのです。
トルコ人は120年前に日本人から受けた恩を忘れていなかったのです。素晴らしい実話ですね。

このエルトゥルル号の遭難事件は、1890年(明治23年)オスマントルコの使節団がエルトゥルル号に乗って来日し、明治天皇に拝謁した帰路、和歌山県串本町沖で台風に遭遇、船が座礁し581名が死亡、69名が串本町大島の住民の献身的な救助によって救助されたという事件です。


全長76メートルもある軍艦が真っ二つに裂け、乗組員は海に放り出され波にさわられました。何人かの水夫が灯台のある岸壁の下に大波で打ち寄せられ、40メートルもある崖をよじ登って灯台守に助けを求めました。灯台守は裸同然の全身血だらけの初めて見る異国人を見てびっくり、しかし言葉が通じない。そこで「万国信号音」を見せて会話し、多くの乗組員が海に投げ出されている事態を知りました。
灯台守はこの男達に応急手当てをするとともに、電灯もない人がやっと通れる真っ暗な夜道を必死に走り、灯台から一番近い50軒位の家がある樫野村の人たちに急を告げました。村人たちは即座に総出で海辺に走り、岩場に打ちつけられている乗組員の救助に命懸けで取り組みました。多くは遺体であり、息がある者も意識がなく、体温がなかった。村の男たちは我を忘れて次々に裸になり、自分の体温で彼らを温めました。この献身的な行為によって69名が救助されたのです。


しかし当時の樫野村には電気、水道、ガス、電話などはもちろんなく、井戸さえない貧しい村であった為、食糧の蓄えも少なく、台風で漁ができない為、まもなく食糧が尽きてしまいました。もう食べさせてあげるものがない、どうしようと窮地に落ちいった時、鶏を食べさせようと誰かが言いました。鶏は非常食として飼っているもので、村人も普段は食べられない貴重な非常食だったのです。しかし誰一人反対する者なく、村人は最後に残った鶏を料理してトルコ人に食べさせたのです。こうして69名のトルコ人は一命を取り留め、また遺体もすべて引き揚げて丁重に葬られました。


この遭難の報は、通信手段がなかったため、日を経て和歌山県知事に伝えられ、明治天皇に伝えられました。明治天皇は大いに心を痛められ、直ちに最善の援助をするよう指示が出され、政府を挙げて遭難者に対する支援が行われました。
そして69名の生存者は翌年日本海軍の軍艦2隻によってトルコの首都、イスタンブールに送り届けられ、マスコミもこの悲惨な事件を大々的に報じたため、多くの義捐金が全国から寄せられ、遭難者の遺族に届けられたのです。


この痛ましい事件で亡くなった581名を慰霊し、忘れない為に事件のあった和歌山県の樫野崎灯台のそばに『エルトゥルル号殉難将士慰霊碑』が建立されており、今日でも5年に一度トルコ大使館と共催で慰霊祭が行われています。


慰霊碑もお墓も単なるモニュメントかもしれません。しかしそこに存在することによって死者を思い出し、未来の人々に語り継がれていくのです。
貧しい村の人たちがすべてを放出して救援活動をした日本人の美しい心、その恩を120年たった今でも忘れていないトルコ人、語り継いでもらいたい心打たれる実話ですね。


全優石は、東北大震災被災地のウオーターラインにボランテイアで津波記憶石を500基建立しようという壮大な事業に取り組んでいます。津波の犠牲になられた方々を慰霊し、津波の恐ろしさを未来に語り継ぐ為に…。

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